アウトプットは「話す」こと?「書く」じゃだめなの?

今日は、筆者がふと思った疑問を解決するシリーズ(そんなシリーズはない)、「話す」と「書く」ってどう違うの?を考えていきたいと思います。






この疑問を持ったきっかけは「英語」。
英語学習について調べていた時に、最終形はネイティブの人と「話す」ことだという言葉を見かけました。日本人の英語学習は度々問題視されていますが、よく言われるのが「インプット」はしっかりできているが「アウトプット」ができていないという話。
でも「アウトプット」なら「書く」じゃだめなのかな、と…。なぜ英語だと「話す」ことができないのか、「書く」じゃだめなのかな、ということについて考えていきたいと思います。


そもそも日本の英語教育って?

母国語の日本語は「話せる」し「書ける」。それぞれ得意不得意があるとは思いますが、ご存じの通り、幼児期「話す」ことを習得し、そして義務教育を経て「書く」力が完成されていくのが日本語。

一方英語はどのように習得していくのでしょうか。学習指導要領から見ていきたいと思います。

まず文部科学省の平成29年度告示「小学校学習指導要領(外国語)」を見ると、

外国語の音声や文字,語彙,表現,文構造,言語の働きなどについて,日本語と外国語との違いに気付き,これらの知識を理解するとともに,読むこと,書くことに慣れ親しみ,聞くこと,読むこと,話すこと,書くことによる実際のコミュニケーションにおいて活用できる基礎的な技能を身に付けるようにする。

とあります。つまり日本語との違いなどから英語を「知る」ことから始まり、「読み」「書き」に慣れ、そして「聞くこと」「話すこと」を加えて実際のコミュニケーションができるような基本的な力を身に付けること、を目標にしているということなのでしょう。

中学生になると、

外国語の音声や語彙,表現,文法,言語の働きなどを理解するとともに,これらの知識を,聞くこと,読むこと,話すこと,書くことによる実際のコミュニケーションにおいて活用できる技能を身に付けるようにする。

平成29年告示「中学校学習指導要領」外国語

高校になると、

外国語の音声や語彙,表現,文法,言語の働きなどの理解を深めるとともに,これらの知識を,聞くこと,読むこと,話すこと,書くことによる実際のコミュニケーションにおいて,目的や場面,状況などに応じて適切に活用できる技能を身に付けるようにする。

平成30年告示「高等学校学習指導要領」外国語

一見似ていますが、理解を「深める」こと、「目的や場面,状況などに応じて適切に」活用できることが、最終的な外国語学習の目標であると、文部科学省は言っています。

そして小学校、中学校、高校において、「聞くこと」「読むこと」「話すこと(やりとり)」「話すこと(発表)」「書くこと」の5つの柱を通して、学年が上がるとともに内容が高度になっていく…という感じでした。

つまり基本的な方法は同じで、内容がどんどん高度になっていく…日本語の習得とそれは同じです。言葉は「基本」を学べば、あとは様々な言い回しや表現などを肉付けし、語学能力を向上させていく、そんなイメージでしょうか。


英語学習の最終形はやはり「話す」。でもハードル高い…!


英語を話すことは得意な人、不得意な人がいる。

このように学んでいく英語学習ですが、「話す」ことの習得はなかなか難しいのが現実です。
学習指導要領を見ると「話すこと(やりとり)(発表)」と入っていますが、日本の英語教育はどうしても「話す」より「テストで答える」ことができるように仕上げていくからです。(受験ですね)
それは確かに日本の英語教育の問題点であるかもしれませんが、どうしても日本は「話す」必要がなく、そして何もかも日本語と性質の違う「イエーイ」な言語(笑)を話せと言われても、どうしても得意な人、不得意な人が出てきます。

得意な人は、極端ないつから始めたってできます。小学校・中学校・高校生の間がっつりインプットしまくって、大学受験(目標)をクリアしてからゆっくり取り組んだって十分間に合います。(中学や高校から留学を考えている人は別ですが)。大人になってからだって可能です。

逆に不得意な人は、まず始めるのがハードルが高いですよね。「自分が英語を話している姿が想像つかない…」とそもそも話す前から挫折している人も多いのではないでしょうか。そもそも話す必要がなければ、話す練習する必要、ないですよね。

でも、本当にそれでいいんでしょうか。

英語が「使える」=「話せる」

2020年、新型コロナウイルスにより当たり前のように行っていた海外へ行く機会もぐんと減りました。
それと同時に、グーグル翻訳などの翻訳機の発達で、話せなくても言いたいことは簡単に伝えられるようになってきました。

でも、人生何がどうなるか分かりません。
日本の会社に就職しても、海外に行かされることもあるかもしれません。
英語が必要な部署に配属されるかもしれません。
実際、筆者の友達で英語が苦手で大嫌いなのにブラジルに赴任が決まった人もいます。

学生時代はある程度自分の思う通りに進むことができますが、何が起こるか分からないのが社会。

単なる海外旅行なら翻訳機でどうにかなりますが、働くとなると正直難しい。(今のところは)
いざ現地で働く、英語が必要な部署に行く、となるとどうしても「話せない」と仕事ができません。
いくら英語の文法が完璧で、テストが満点でも、話せないとなんの役にも立たないのです。
結局は、英語が「使える」か「使えない」かは「話せる」か「話せない」かになってきます。
つまり英語学習の最終形は「話せる」ようになることだと言えるのではないでしょうか。

「話す」ことは何とかなるかもしれない。でも…

人間、やろうと思ったら何だってできます。
前述したブラジルへ行った友人も、何とか任期を乗り切って帰国しました。
英語も、話そうと思ったら話せます。

でもいざって時に火事場の馬鹿力で乗り越えることもできますが、急場しのぎでは発音もままならずうまく伝えらえなかったり、頭に入っているはずの文法もいざ話すとなるとめちゃくちゃで恥かいたり。
はっきり言って大変です。

いや、そんなん分かってる、でも、できないものはできない!英語を話すのはハードル高い!高すぎる!
でも「書く」ことならできる。「書く」じゃだめなんでしょうか。

「話す」前に「書く」で慣れる


まず「英語」を書く=「英作文」の時間を増やしてみよう

そもそも「話す」ことが難しいこと以前に、「書く」ことはできるんでしょうか。

えーそこに話戻すの?って思うかもしれませんが、英語で自分の思いや考えを書く、つまり英作文ってする機会も意外と限られています。最近は英語の記述式の問題も増えているかもしれませんが、基本的には長文を読んだり、文法の穴埋め問題をしたり、そんな感じですよね。英語で自分の考えを「書く」ということすら、する機会が意外とないことに気付きます。

試験・受験勉強は英語だけではありません。英語だけに時間を割くことはできませんが、「英作文」の時間を少し取ってみることはできます。学んだ文法を使って、一つ自分の言葉で書いてみる(そして必ず読んでみる)。そうやって少しずつでも英語を書いてみるクセを付けてみると、自分の考えを英語にするクセがついていきます。

「書く」ことで、表現することに慣れていく

なんだそんなこと、と思うかもしれませんが、「話す」というのは即座に自分の考えを文章にして話すわけですが、日本語だと無意識にできますが、他言語になると訓練が必要です(慣れともいいますが)。自分の考えを英語にする「慣れ」をしておくだけで、いざ「話す」練習をするときのハードルはグンと下がります。「こう思ったときはこう言う」、その感覚を毎日ひとつでもいいので「英作文」にして「英語」を自分のものにしていくことはとても有効です。

自分の考えを言語化する、表現する。それはまさに「書く」も立派なアウトプットなのではないでしょうか。
では、話さない代わりに、書いて伝えればいいのでしょうか。



「話す」と「書く」はやはり違う。けれどどちらも「コミュニケーション」。


「書く」ことのメリット・デメリット

では、「書く」ことでコミュニケーションすることとはどういうものなのでしょうか。
メリット・デメリットを整理してみたいと思います。

メリットとしては

  • 言い間違い、言い忘れ、聞き間違いを防げる
  • ログを残せば、言った言わないが防げる。
  • 言いたいことをきちんと伝えられる。など。

デメリットとしては

  • 細かいニュアンスが伝わりずらい。
  • 相手の感情が伝わりにくい。
  • 時間や手間がかかる。など。

このように整理してみると、仕事上なら書いた方が確実に伝わる場面が多そうですが、相手と親しくなったり関係性を築くためには、書いているとどうしても時間や手間もかかる上に、表情や言葉のニュアンスが伝わりずらいために、「書く」コミュニケーションでは時間がかかってしまいそうです。

その現場(仕事場や学校など)での関係性を築くためには、やはり「書く」より話すが大事になってきます。耳の聞こえない方が「筆談」より「手話」を用いることが多いのも、「話す」ことは、いかに相手との目線、リズム、呼吸、そういった様々な要素を無意識のうちに取りこんでコミュニケーションし、相互理解していくか。人間はどうしてもそのように関係性を構築していく必要があるのではないでしょうか。

それは英語でも日本語でも同じです。「書く」ことさえできれば仕事はどうにかできるかもしれませんが、人間関係を築くにはどうしても「話す」は不可決です。仕事するだけだったらいいんじゃ…と一見思いますが、仕事はやはり人間関係が基本です。オンラインでメールのやりとりだけで進めていくことができるのならまだいいですが、現地へ行ったり赴任するとなるとどうしても「話せない」と相手にされず、仕事を進める上で支障が出てきます。英語を知っていても「話せない」のは、「使えない」と同じというのを述べましたが、人間関係が構築できないというのが大きな理由でもあります。


コロナ禍の今、「話す」ことも「書く」ことも見直す時では。

しかしこのコロナ禍において、その当たり前とされていた「話す」ことで関係性を構築していたことが、簡単にはいかなくなってきました。会って話す機会がグンと減りました。そんな中、やはり「書く」ことを見直していく必要があるのではないでしょうか。

全く違う「話す」と「書く」ですが、自分の中のものを「アウトプット」し、「コミュニケーション」を取るもので間違いはありません。速効性が必要なコミュニケーションには向いていませんが、じっくりと関係性を構築していくことは「書く」でも可能です。

メールよりも手書きで書く手紙なら、話すまでとは言いませんが、自分の感情や思いがどこかその書く文字に反映されます。
今一度、「手紙」でのコミュニケーションを見直して欲しいと思います。

「話す」ことは人間にとってとても大事なことですが、「書く」ことも人間に備わった大事なコミュニケーションスキルです。
どちらがいいとかそういう風に見るのではなく、「話す」ことの大切さも認識し、その上で「書く」こともいかに素晴らしいものであるのかを見なおす時ではないでしょうか。
そしてその二つをうまく組み合わせて、より一層充実した人間関係を築き、よりよい人生を送っていくことができれば、とレタコミュ!は考えています。