【言葉の話①】「拝啓」いる・いらない問題

手紙といえば「拝啓」のイメージがありませんか(私だけ?)。「拝啓、○○様」といって書き出すと何となく大人びたような感じがして、素敵ですよね。

どこかかしこまったような、大人が使うような、そんな「拝啓」。でもいざ使うとなるとどこか気恥ずかしいような感じがします。アンジェラアキさんの「拝啓、15の君へ」という歌が有名になりすぎたせいもあるのでしょうか。

そもそも「拝啓」とは、

《つつしんで申し上げます、の意》手紙の初めに書くあいさつの語。文末はふつう「敬具」で結ぶ。謹啓。

という意味ですが、そう、必ず文末は「敬具」で結ぶ必要があります。
これって意外と知らない人も多いのではないでしょうか。「拝啓」は有名ですが、「敬具」はそれほどまででないというか…。
え?「敬具」をつけなきゃいけないの?と正直私は驚きました。
そんなややこしいルールのある「拝啓」。そもそもいるの?いらないの?そんなことを考えてみました。
気楽に読んで頂ければ幸いです。





拝啓はそもそもいつからあるの?

由来・語源辞典によると、

「拝」は、相手を尊敬して自分の動作の上につける語。「啓」は申し上げるの意。
古くは「拝啓仕候(つかまつりそうろう)」という形や「寸楮(すんちょ)拝啓」のような複合形で用いられることが多く、単に「拝啓」の形で頭語で定着したのは、明治時代中期とされる。

とあります。郵便事業が明治4年に始まり、最初は封書のみの取り扱いでしたが、明治6年にはハガキが発売されると、それが手軽にやりとりができると人々の間に浸透。ハガキは便箋に比べるとスペースが小さいため、「拝啓」と略して書くやり方も同時に浸透。
そうして日本の手紙文化に「拝啓」と書く文化が根付いていった…ってとこでしょうか(あくまで持論です)。

一方敬具は、

敬具とは、「謹んで(敬)整える(具)」の意で、古くは手紙の用法はなかった。
「敬具」が一般的な書き止めの語となり、「拝啓」と呼応して用いられるようになったのは、大正時代ごろとされる。

敬具が拝啓の呼応とされたのは随分後とは驚きです。「拝啓」のあとは「敬具」付けるって昔から決まってるのよ!常識よ!っていう雰囲気があるので、「拝啓」と「敬具」は同時誕生だと思い込んでいました。
しかし、謹んで申し上げる「拝啓」に、謹んで整える「敬具」、この二つが呼応する理由が正直現代人の私にはさっぱり分かりませんが、誰かえらい人が考えたんでしょうか(知らんのんかい)。

起源や発端はイマイチ分からないままですが、とりあえず手紙を書く相手を敬う気持ち、そして書き終わりを丁寧に示す言葉として「拝啓」「敬具」が用いられるようになったのは、何となく伝わります。自分が相手よりへりくだる精神、まさに日本的な感じで大切にしていきたい文化ですよね。でも現実問題、「拝啓」ってつける必要があるんでしょうか。別に拝啓ぐらい付ければいいじゃんって思うんですが、別になくてもいいんじゃ…とも同時に思ったり…。

前述しましたが、「拝啓」と書くと、気取っているような気恥ずかしさがあるような気がしてならないのです。自分が相手より遜る気持ちはもちろんあるし、ぞんざいに扱う気持ちは毛頭ありません。ですが、つけなくてもいいなら、つけなくてもいいんじゃない?と。



「拝啓」「敬具」を付ける必要はない?歴史から紐解いてみた。

結論から言うと、この令和の時代「拝啓・敬具」は付ける必要はない、と言えます。まず文章の歴史から紐解いてみていきましょう。

かつては口語体と文語体があった

手紙の歴史は、書き言葉の歴史ともいえます。現在、私が今書いている文章は話し言葉と同じような文体である「口語体」で、昔は話し言葉とは違う書き言葉、つまり「文語体」が存在していました。
高校で学ぶ「漢文」は中国から入ってきた日本で最初の書き言葉(いつ入ってきたかは不明)、その後時代と共に日本独自の進化していき、今は「古文」と呼ばれる平安時代に発展した「和文体」、その二つが合わさった「和漢混合体」、鎌倉時代以降には口語の「です」「ます」部分を「候」と記述した「候文」、そして今の文体に近い「普通文」へと移行していきます。

時代は口語体へ!

明治に言文一致運動が始まり、明治末にはすべてを口語体にするよう当時の文部省が指導、大正9年にはすべて口語体の現代文の教科書が発行され文語体は衰退しますがが軍隊が使用していたため残されていました。しかし戦後は文化の開放とともに口語体の使用のみとなり、現代では短歌等の一部の芸術分野のみでの使用となり文語体はほぼ消滅状態になっています。

文語体の大きな特徴の一つに「歴史的仮名遣い」が挙げられます。え→ゑ、い→ゐ、などの表記だけでなく、今日→けふ、川→かは、きゅうり→けうり、など、今思えば独特なかな表記も、戦後「現代仮名遣い」に統一されます。同時に常用漢字も制定され、現在の日本語の表記へと固定されるようになっていきました。

口語体の世の中になった今…書くことに変化が。

長々と書きましたが、武士の世が終わり、明治という新しい時代になり、身分制度が廃止。そのことですべての人が読み書きできるような世の中にすべく、難しかった「書き言葉」を「話し言葉」と同じにすることで、「書き言葉」を書きやすくしてくれたんだなーと理解。。ですが「書き言葉」(文語体)はもうそれ自体が日本の「文化」一つであったことは間違いありません。

長い日本の歴史の中で形成されていった「文語体」。しかしそれは時代の流れの中で淘汰されてしまいましたが、それは「口語体」の文化も始まりとも言えます。
「言論の自由」「表現の自由」という戦後の新しい時代の中で、「口語体」はありとあらゆる多様な言葉遣いや書き方が生まれていきました。そしてそもそも書くことが減り、キーボードで打ち始め、フリック打ちも始まり、私たちの書く文化は内容だけでなく形態も変化。書くことは、「気軽に」「何気なく」「話すように」、そうして文章とも言葉ともいえぬようなものが、氾濫しているのが現在なのではないでしょうか。



「拝啓」は文語体の名残。けれど…

話を拝啓に戻したいと思います。「拝啓」は、口で言うものではありません。つまり「文語体」です。淘汰されてしまったはずの文化がまだ手紙の中に残されていて、芸術や文化を扱うわけでもない人が、文語体を使っている事例の一つではないでしょうか。

そう考えると、「拝啓」をあっさり切り捨ててしまってはいけないもののように思えてきます。奇跡的に残っていた文語体の名残。
それは手紙が一つの「文化」を形成していた証であり、「拝啓」を使うことでその「文化」を継承していることになります。

前項で述べたように、「文章とも言葉ともいえぬようなもの」が氾濫している現在。そんな中、いざ手紙を書くとなると「拝啓」という文化にぶち当たる。は?拝啓?何それ?そう思って通り過ぎるのはもちろん仕方のないことだと思います。学校で手紙に拝啓を付けて書くなんて学習はしませんし、挨拶のように常識ともいえる文化ではありません。手紙を書く機会がなければ、そのまま知らないまま通り過ぎてしまう言葉だと思います。

話し言葉で文章を書くことが当たり前の今の私たちの中で、「拝啓」「敬具」は難しく、煩わしい存在に映ります。
いざ手紙を書こうとして、「手紙のマナー」を調べると、「拝啓」や「敬具」といった馴染みのない言葉の話をされると、手紙を書くハードルを上げてしまうのではないでしょうか。
そんなことを気にせず、もっともっと「手紙」に対するハードルを下げて、気軽に送り合えるようになればいいと思うと同時に、
せっかく奇跡的に残された「拝啓」「敬具」の文化をこのまま消し去ってもいいのだろうか…とも思うのです。


「拝啓」「敬具」は気遣いがあったからこそ残った文化。

こうして歴史的に考えると一概に邪見にするのも躊躇われる「拝啓」と「敬具」。
しかし、それだけでなく、手紙という特性からも考えさせられるポイントがあります。それは、相手がいるかどうかです。
手紙は誰かに送るものです。その相手へ対しての態度があります。相手が目上の人なのか、「歴史や形式を重んじる」人なのか、そんなの気にしない人なのか、年下なのか、立場や関係性を考慮して、書き方を変える風習がある、ということです。

それは相手へ対する気遣いからきた風習です。その気遣いから「拝啓」「敬具」は今日まで残ったとも言えるかもしれません。
「つつしんで申し上げる」、という一言を添えて、手紙を書く。
そう相手への礼儀を徹底してきた日本人の優しさを、感じずにはいられません。


新しい「拝啓」「敬具」を生み出してもいい。

しかし、前々項でも述べたように、文章とも言葉ともいえないような口語体を使う今の私たちに、「拝啓」や「敬具」を使うのはハードルが高いのは事実です。ですが、文語体である「拝啓」「敬具」をそのまま使うというのがハードルが高いのではないでしょうか。

へりくだったり、相手を大切に思う気持ちは、決して忘れてはならないことだと思います。その気持ちは大切にしながら、手紙で使う新しい文化、つまり新しい「拝啓」「敬具」を生み出してもいいはずです。文化は絶えず変化していき、進化していく。それが「自由」になった今の私たちのあるべき姿なんだと思います。

「拝啓」いる・いらない問題、確かに付ける必要はないので「いらない」といえますが、古きと新しきの間で、進化させていくのもいいのではないか、とレタコミュ!は考えました。

あなたは、「拝啓」「敬具」について、どう考えますか。