今日は、因縁のライバル!?「文通(手紙)」VS「SNS」についてです。
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文通とSNSの共通点は、「人と人とのつながりを促進・サポート」する点
まず、文通とSNSの共通点からみていきたい。
以前の記事で、文通もSNSみたいなものだという話をしました。
レタコミュ!の文通が、
小学生・中学生・高校生対象でも安心な理由
2019年12月
~記事からの抜粋~
そもそもSNSとは何だろう。Wikipediaを見ると、
『狭義には、SNSとは人と人とのつながりを促進・サポートする、
「コミュニティ型の会員制のサービス」と定義される』
~中略~
『広義には、社会的ネットワークの構築の出来るサービスやウェブサイトであれば、
ソーシャル・ネットワーキング・サービス(以下、SNS)
またはソーシャル・ネットワーキング・サイトと定義される。(Wikipedia)』
とあるので、レタコミュ!はSNSではないことがわかるが、
「人と人とのつながりを促進・サポートする」という言葉はとても気になる。
「文通」か「ウェブ」かの違いはあれど、
「人とのつながりを促進・サポートする」という目的はレタコミュ!も同じだ。
人とのつながりを促進するもの―。その目的は「文通」も「SNS」も同じだ。
文通も相手はあくまで「人」、SNSも「人」。
両者とも人と人とのコミュニケーションツール。
それが、「文通」と「SNS」、「アナログ」と「ハイテク」、
相反する両者のの大きな共通点はそこだ。
それをふまえた上で、次に違いについてみていきたい。
まず最初に考えられるのが、入力方法―「書く」か「打つ」かの違いだ。
「書く」ことと、キーボード入力との違いは「脳」
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「手紙」は、「手書きで書く」ことになるが
(パソコンで書く場合もあるが、今回は手紙は手書きで書くものとします)、
「SNS」ではパソコンであれスマートフォンであれ、「キーボード操作」になる。
川島隆太著『スマホが学力を破壊する』(集英社新書)のp176-p177を読むと、
こんなことが書かれていた。簡単にまとめると、
手書きで手紙を書くと前頭前野はたくさん働くのに、
パソコンや携帯電話で手紙を書いても全く働かないという結果となった。
単純な文字列の記述だと両者とも前頭前野が働かなったことから、
手指の運動の複雑さが前頭前野の働きに関与したわけでないということになる。
つまり、手紙を書くなどの知的作業の時両者に違いが出る理由は、漢字の変換にある。
漢字を思い出し、それを文字として表現する行為が、パソコン操作だと一切ない。
変換して出てきた漢字が正しいかどうかを判断するだけだ。
というようなことが書いてあった。
この本を読むと、スマホを捨てたくなりますが(え)、
数字は嘘をつかないのでなかなか興味深くまたご紹介したいと思います。
とりあえず今日はこのポイントをピックアップさせてもらいました。
前頭前野とは、
『情報処理の中枢であり、思考の中枢でもあります。
外部の刺激は視覚や聴覚といった感覚情報として大脳に入り、
前頭前野へ送られ、その意味や価値が判断され、
必要な行動が選択されます』
(川島隆太著『スマホが学力を破壊する』(集英社新書)より)
とあるように、前頭前野は、思考力・考える力を司る組織ということがいえよう。
そんな前頭前野が後退すれば、脳全体の機能が低下していくのは明白だ。
ただ手紙を手書きで書く。
ただそれだけで脳の前頭前野を活性化してくれるものだとは正直意外だった。
この点は手紙の勝利だろう。
次は、時間について見ていきたい。
かかる時間はSNSの方が圧倒的に早い。
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時間は圧倒的にSNSの方が早い。それは明白だ。
電話で話しているような感覚でやりとりができる。
返事がなくても読んだことが分かるという「既読」機能まである。
(それを元にしたトラブルはさておき)
一方手紙は、届くまでに約1日。
書くのも手書きなら、どんなに早くても30分ぐらいはかかる。
それだけで済めばまだ早いが、
どの便せんにしようか、どのペンで書くか、切手は何にしようか、と悩む時間。
切手がなくなったから買いに行かなきゃ、書いたけどポストへ出しに行くの忘れたとか、
ポストまで歩いて10分はかかる…など投函するまでの時間。
書く時間だけでなく、それに付随する時間も含めると、
1つの手紙を出すまでに膨大な時間がかかる。
SNSに慣れてしまうと本当に面倒臭い。
時間に関しては圧倒的にSNSの勝利だ。
「手紙」を排除することも、「SNS」を排除することもできない
手書きの手紙は脳にいい。
かといって手書きの手紙の時代に逆戻りし、
「SNS」をやめるなんて安直なことは、
その便利さを知ってしまったらもうできない。
SNSの方が時間がかからなくていい。
かといって、手紙を排除し、
SNSのみにしてしまったらどうなるだろう。
もしかしたら、時代はそういう流れにきているのかもしれないが、
脳にいいとかいう話はさておき、
あの手書きの温かさがまったくなくなってしまったらなんとも寂しく感じる。
今までのコミュニケーションツールを遡ってみたい。
「手紙」しかない時代から「電話」が登場し、
「FAX」「パソコン」「インターネット」「Eメール」「スマートフォン」
そして「SNS」の時代。技術の進歩とともに段階を踏んで発展してきた。
それが「人と人とのコミュニケーション」をよりよくしたいという
「人」の考えから成長してきたものだ。
「便利にしたい」「よくしたい」そういう思いから出てきたものに違いない。
それを「脳に悪影響だから」という理由で否定することは簡単にはできない。
では、どうすればいいのか。
両方、楽しめばいいのだ。
今の時代は「文通」のよさも「SNS」のよさも両方楽しめる!
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昔は手紙しかなかった。でも今は「手紙」も「SNS」も両方ある。
「手紙」と「SNS」の持つ時間は全く違う。
その違いを体感できるのは今の時代だからこそだ。
「手紙」しかない時代は、それがすべてだったが、
両方ある今の時代は、その違いを感じ、
違いがあるからこそ、両者それぞれの良さを感じることもできる。
「書いた文字」のあたたかみ、ついた「いいね」のうれしさ。
「待つ」時間の楽しさ、「すぐ返事がくる」喜び。
相手を思い選んだ「便せん」、相手を思い選んだ「絵文字」。
どちらも楽しみがあるだろう。
どちらがいいとも悪いともいえない。
ただ、今の私たちは両方楽しめる環境にある。
違いを楽しんでみてはどうだろう。